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肉体の記憶から破れ出る景観の断章 ‐林康貴個展『記憶の断片』に寄せて‐

襾漫 敏彦 (美術評論)

精神が、その内側にあるあいだは、形をなさぬものである。それが自分を包む膜の中から、外へと萌出していくとき、はじめて形を持つのである。けれども、形を成すことで見えるようになったものと、その向こうで、取り残されて潜んだまま見ることのできない二つの相がある。

 

林康貴氏は、トレーシングペーパーに近しい紙をキャンバスとして風景の絵を描く。充分なオイルに溶かした絵具を、抵抗の少ない滑らかな表面の上で一息に引いていく。水彩のような色合いと、油の顔料の物質感が、絵の情感を支えている。

 

彼は、キャンバスを縦に二つ以上の画面に分割して、全く異なる風景を描く。一方は、眼前にある風景であり、もう一方は、意識の中に立ちあがってくる記憶の風景である。内的な心の領域では、結びついていたものが、立ち現われたときには、加留多(かるた)の表と裏のように異なったものになっている。

 

薄められた絵具は、筆の運行を際立たせている。水平に広がり、精神の波立ちを抑える横の線、そして杭を立てるように抗い働きかけんとする上下に走る線、それらが醸し出す力の場は、風景の中にある身体感覚を導いてくる。

 

外からの刺激は、僕たちを納得させながら、違和感を残していく。それは、身体の感覚の座りの悪さとしてはじまり、記憶の再生として結実する。この同時表現の狭間に揺蕩(たゆた)うことは、この国では、現代的というより古典的表現かもしれない。